1077年、教皇グレゴリウス7世に破門されたドイツ皇帝ハインリヒ4世(のちの神聖ローマ皇帝)が、謝るために冬のアルプスを越えて、カノッサ城の前に立った。
このお詫びは「カノッサの屈辱」という。
ハインリヒ4世は北イタリアの支配を目指し、ミラノ大司教などを次々と任命した。
教皇は司教の任命権が皇帝ではなく協会にあることを通達したが、ハインリヒは聞き入れなかった。
グレゴリウスが皇帝の破門をほのめかしたことに対し、ハインリヒは激怒し、独自の協会会議を開いて教皇の廃位を宣言した。
これに対して教皇も1076年2月に皇帝の破門と王位の剥奪を宣言した。
破門の知らせを聞いたドイツの諸侯たちは次々とハインリヒに叛旗を翻した。
そこでハインリヒは教皇から破門を解いてもらうために、北イタリアのカノッサ城を訪れた。
しかしグレゴリウスは会ってくれず、雪の中、裸足に粗末な修道衣で3日3晩断食と祈りを続け、ようやく許しをもらったという。
ハインリヒはドイツに戻ると直ちに反対派の諸侯を制圧し、王権を確立した。
その後、再び教皇との対立は激化し、この争いは半世紀も続いた。