1908年、時事新報社が全国から「良家の淑女」を対象に写真を募集し、その審査結果を公表した。
これが日本初のミス・コンテスト(ミスコン)となった。
1等に選出されたのは福岡県小倉市長・末弘直方の四女・ヒロ子で、学習院女子部3年に在学中だった。
彼女の兄が本人の承諾なしに応募したものだったが、コンテスト参加は学習院で大問題となり、彼女は退学処分になってしまった。
日本初のミスコンテストは1891年(明治24年)の「東京百美人」とする説もある。
これは東京・浅草にあった凌雲閣の運営会社が集客のために企画し、芸者約100人の写真を階段の壁に貼り、来場者に投票してもらった。