1282年のこの日、「マフィア」の名前の由来となったとされる住民暴動と虐殺事件「シチリアの晩祷」(シチリアの晩鐘)が起こった。
当時のシチリア島はフランス国王の叔父であるシャルル・ダンジューの苛酷な支配下にあった。
事件が発生したこの日はキリスト教の復活祭の翌日に当たる月曜日であり、教会の前には晩祷(夕刻の祈り)のために大勢の市民が集まっていた。
そこへフランス兵の一団がやって来て、その土地の女性に手を出そうとしたため、その女性の夫はいきなりその兵士を刺した。
その場に居合わせた他の市民もフランス兵に襲いかかり兵士の一団を全員殺してしまった。
その時に晩祷を告げる晩鐘が鳴ったことから、この事件は「シチリアの晩祷(晩鐘)」と呼ばれるようになった。
この暴動は全島に拡大し、フランス系の住民は見つかり次第に殺され、その数は4,000人以上に及んだ。
この暴動の合言葉「Morte alla Francia Italia anela」(フランスに死を、これはイタリアの叫びだ)の各単語の頭文字を並べると「Mafia」となり、これが「マフィア」の名前の由来であるという説がある。
シャルル・ダンジューのアンジュー王家はシチリアから追放され、代わってアラゴン王家がシチリアの支配者となったが、2つの王家の間で繰り広げられた戦争は20年にも及んだ。
「シチリアの晩祷」に始まるこの戦争は「シチリア晩祷戦争」と呼ばれている。